NoBlog -I'm Hearing Impaired-

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感音性難聴(右:105dB 左:91.25dB)/ 音声認識と情報保障に関する研究をしてました

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ポートフォリオ(障がいや支援のことに関する経緯)

 これまでの障がいや支援のことに関する経緯をまとめてみました。多くの人からフィードバックを頂いて、客観的に自分自身を分析してみました。現在の聴力レベル R:100dB L:90dB程度です(残存聴力のある左耳のみ補聴器を装着)。補聴器を付けていない右耳は、ほとんど聞こえません。

~大学入学前


 私は生まれつき感音性難聴がありましたが、小学校までは補聴器を使用せずに生活していました。授業では座席を最前列にしてもらう等の工夫をしてもらっていました。はっきりとした原因はわかりませんが、小学校 4 年生の頃に聴力が低下しました。その頃から、放課後に他の小学校の特別支援室に通うようになりました。特別支援教室では、主に発音の練習をしていました。

 中学生からは、補聴器を使用して授業を受けるようになり、日常生活でも使用するようになりました。学校側の配慮として、先生の口元が見えるように最前列の座席を確保してもらい、先生が板書を多くしてくれるなど、私が授業に参加できるような工夫をしてくださっていました。

 高等専門学校では、中学校の時よりも勉強の内容が難しくなりスピードも早くなり大変でしたが、私のことを理解してくれる友人、先生に恵まれて楽しい学生生活を送ることができました。友人や先生には負担をかけてしまっていたかもしれませんが、快く接してくれていたことにとても感謝しています。 

大学


 編入学した大学でも、大学以前と同じようにやればうまくいくと思っていたのですが、現実はとても厳しいものでした。大学では先生の話すスピードがさらに早くなり、内容の専門性も高くなったことに加えて、講義室も広く口元を読み取るということは困難でした。さらに、学生の人数も多く、クラスなどの枠組みもないため、友人に助けてもらうということにも遠慮してしまっていました。特に、研究室でのゼミでは質疑応答の内容が聞き取れず悔しい思いもしました。

 通っていた大学ではノートテイク(文字による情報保障)などの支援が行われていなかったので、自分で努力するしか無い状態でした。今考えれば、自分自身で積極的に大学や友人に相談して、必要な支援を整えていくということができたのかもしれませんが、その当時の私には、障害のことやそれに対する支援のこともよく理解できていなかったのではないかと思います。   

大学院


 障害のことや支援のことを、自分自身がもっと知らなくてはならない。そのような思いで、大学院では『音声認識技術を用いた字幕の作成支援システム』について研究し、同じ障害のある方々のための役に立ちたいと思いました。さらに、将来、社会人としてやっていくためにも障害や支援を適切に理解する必要があると感じたため、障害学生支援室が設置されている場所で学んでみたいと思うようになり、京都大学大学院情報学研究科へ進学しました。

 大学院でのゼミやディスカッションは予想以上に難しいものでしたが、研究室の同期がパソコンテイクやノートテイクでサポートしてくれていることで、とても有意義な時間を過ごせています。また、FM 送受信システム(補聴援助システム Roger | 製品情報 | 補聴器のフォナック)や音響機材などを用いるなど、様々な支援・機器を体験してみることで、障害や支援に対し てもとても勉強になっています。もちろん、うまくいくことばかりではなく悔しい気持ちになることもありますが、先生や仲間、支援のスタッフの方と一緒 に考えることで、様々なことに対して前向きに取り組むことができるようになりました。

 大学院では手話サークル(京都大学手話サークル ホームページ)にも所属して、手話技術の向上にも励んでいます。 今までは、自分に聴覚障害があるにも関わらず、そのコミュニケーション手段のひとつである手話を学ぶということを避けている自分がいました。しかし、 色々な経験から、手話を学ぶことを前向きに捉えられるようにもなりました。 このことは、自分自身の大きな成長だと思っています。手話サークルでは、同じ障害のある仲間にも出会い、彼らと共に貴重な経験をしています。これからの私にとって大きな財産になると思っています。